童貞トリビア恐るべし!!
長いのでヒマな時に読んでね
一番最初に童貞喪失の定義が問題として提起されたのは米軍占領下の日本でした。1947年11月に発行された雑誌「根無葛」創刊号において、東京帝大国文学科に在籍していた山根勝が「童貞喪失と処女喪失」というタイトルで、論文を書き、当時東京でGHQ民政第6課に勤務していたリチャード・S・スミスが合衆国で紹介し、様々な学者を巻き込んでの一大論争となったのです。

接触説
1949年、オクラホマ州立大学に教授として迎えられたスミスはオクラホマ州立大学紀要論文において、所謂「接触説」を唱えました。接触説とは、男性器が膣口に触れた瞬間をもって童貞の喪失と見なす、というもので、これは膣への男性器の侵入の有無を問うていない点で、旧来の漠然とした童貞喪失観に支配されていた合衆国社会に一大センセーショナルを巻き起こすことになります。また女性との性交に失敗したことでコンプレックスを抱いている男性が多いことを指摘し、膣への挿入を果たせなくても童貞を喪失していると社会的に認定することで、そうした男性たちの救済を図るべきだと主張しました(1950)。これを「ヒューマニスト的接触説」といいます。

挿入説
産婦人科医のエレルト・シュミットは論文「天に至りし時」(岩波文庫)の中で接触説に対して全面的な異議を唱えます。シュミットは童貞の男性と処女の女性とが性交した場合、童貞の喪失と処女の喪失とは同時に発生するべきだと主張しました。これが「挿入説」です。挿入説は先述した漠然たる童貞喪失観を理論づけたものであったため、保守層を中心として多くの支持を得ました。また、1958年にはAWC(全米婦人啓蒙委員会)の代表マーガレット・ベッティが男女平等の観点から挿入説を支持しました。ベッティは男性が男性器を女性の膣口に接触させるだけで童貞を喪失することができるのに対して、女性の処女喪失は処女膜が破瓜される必要があるため、男性に決定権が委ねられているのが不当であるとし、男性の童貞喪失も男性器の挿入という女性の協力が必要な事象を成立要件に含めるべきだとしました。これを「同権的挿入説」といい全米の婦人の支持を集めました。

番外トリビア
1961年アメリカ西部諸州でジャクリーヌ・ウィルソンが挿入説を州条例で規定するように求めた運動を開始します。この運動は当初好意的に見られていました。 というのは、この時期にはベッティの「同権的挿入説」が女性だけでなく、リベラルな男性知識層にも広く浸透していた上に、ジャクリーヌ自身に父親譲りのカリスマ性があった からです。しかし皮肉なことに、そのジャクリーヌのカリスマ性がこの運動自体を歪めるようになっていきます。現在、ジャクリーヌ研究の専門家たちの多くがその理由をジャクリーヌ自身に魅力が ありすぎたからだと指摘しています。すなわち、運動に中途から加わっていった者の多くが運動の支持者ではなく、ジャクリーヌ本人の妄信的な支持者となっていたのです。 この結果、ジャクリーヌの運動は段々と迷走していきます。そして1965年のロサンゼルス暴動の際、ジャクリーヌの側近がロサンゼルス市庁舎を占拠し、挿入説の法制化を求めた事件を契 機にして、ジャクリーヌたちは「狂信的挿入説派」と位置づけられることになり、その後、運動は瓦解してしまいます。なお、ジャクリーヌは1972年、知名度を生かし、この年逝去した父の地盤を引き継いで上院議員に転身、1992年大統領選挙ではクリントンの選挙参謀となります。
さて、挿入説の育ての親と言えるベッティはジャクリーヌの派手な運動に対して地道な活動を続けていました。が、1968年、講演先の西ドイツ・ドルトムント市でドイツ人青年に 暗殺されてしまいます。犯人の青年はドイツ接触説の権威カルザックの教え子でした。そして、カルザック自身、狂信的挿入説派のカメリカ人の青年によって、講演先のニューオリンズ郊外で暗殺されてしまいます(1968)。
こんな論争で2人も暗殺されてるんですね…。

射精説
1982年、ソビエト科学アカデミーのレオニード・サハロフは「射精説」を唱えます。サハロフは「男性が男性器を女性器に挿入する目的は射精に他ならない」と主張しました。ソビエト政府はこれを支持するよう東欧諸国に求め、ルーマニアでは憲法が改正されました(1984)。

番外トリビア なかなかサハロフの射精説は西側諸国においては採用されませんでしたが、1984年オリンピック後のロサンゼルスで起こった婦女暴行事件の裁判で陪審が射精説を採用したことで注目を集めます。言うまでもなく1984年のロサンゼルスオリンピックを、ソ連を初めとする東側諸国はボイコットしています。これは、1980年のモスクワオリンピックを西側諸国がソ連によるアフガニスタン侵攻に抗議してボイコットしたことによる報復処置なのですが、そのように冷戦というものが政治に関心の薄い庶民にも目に見える形で具現化されたと言う意味で、冷戦ムードが最高潮に達した時期とも言えるわけです。そうした時期にソ連の学者の説が陪審で採用されたことは世論に衝撃を与え、そしてその衝撃は学会、そして政界へと波及します。元々この婦女暴行事件は全米の注目を集めた事件でした。白人青年の容疑者(被害者は黒人女性だった)を白人ばかりの陪審員が裁くと裁判で、当初から被告人に有利な判決が出るのではないかと憶測が飛んでいました。そして、事実、陪審は白人青年を無罪とするために「被告人は女性の膣内に男性器を挿入したものの、射精するに至らず(中略)学会の定説たる「射精説」によればこれは強姦に該当しない」(陪審による意見陳述書)としたのです。

暗殺なんてコワクナイ
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